本誌代表HIROKI、貧乏生活を振り返る「元カノにデブで貧乏はもう無理と言われた」

※反響が大きいため、2022年1月16日にHIROKI本人の許可を得て、インタビューで足りなかった部分を追補致しました。

今回は元大学教員で現在都内シェアオフィス経営者・老人ホーム経営顧問を務めている本誌代表HIROKIに下積み時代を振り返るインタビューをオンラインで行いました。

※インタビューは12月4日に行いました。今回のインタビューは先週に投稿したインタビュー記事:「元大学教員HIROKI、秋篠宮様に苦言「誹謗中傷は許せないと言う前に、皇族の当主として結婚に断固反対すべきだった」の続きで行ったものです。

貧困は自己責任ではない

HIROKI「僕の中で貧困問題はライフワークだと考えています。大学時代貧困問題に関する授業や文献を読みましたが、貧困問題に関心を持ったのは湯浅誠さんという人が書いた貧困問題に関する『反貧困』(岩波新書)という本がきっかけです。今コロナで生活が大変な人が多いでしょ。僕も学生時代は極貧でしたけど、貧しい生活を送って実際感じた事は貧困は誰にでもあり得るという事なんですね。そういう意味で『反貧困』の内容とそっくりで湯浅さんの書いた事にすごく納得してしまった。今僕は後輩の映画ライターに定期的に伺って生活を手伝ったりしてるんですが、周りに貧困は自己責任だから支援なんかするなという人もいるんですが、それは違うという事を身を持って知っているので、微力ながら後輩をサポートしたいという気持ちで生活支援をやっているんです」

武井「メンタリストDaiGoさんのホームレス発言が8月にありました。残念ながら自己責任と考える人がまだいる事も事実です」

HIROKI「僕も正直、湯浅さんの本を読む前は「貧困問題は努力して来なかった人の自己責任だ」と考えていました。実際貧しかった頃も「自分のせい」だと考えていました。でも日本は格差社会だから頑張っても報われない部分もあると思うんですね。いわゆる貧困の連鎖です。江戸時代に「士農工商」という身分制度がありましたよね?あの名残で現在も日本は格差社会が続いているんです。DaiGoはその「頑張っても報われない人がいる」という部分を欠落していた。彼が言った事は許せない事だけど、既に反省している人を叩く理由が無いので、しっかり反省して頑張っても報われない人がいるという事実を知って貰いたいですね」

全財産2万円の生活

貧乏時代、80㎏以上体重があった

武井「HIROKIさんの貧しかった頃はどのような生活をされていたんですか」

HIROKI「大学に入る前の年に父が早期退職したので、大学に入ってからは大変でした。自分は首に持病があり肉体労働のアルバイトは難しかったので、とりあえず家でできる文章校正のアルバイトで貯金生活を送っていました」

武井「(校正のアルバイトは)どのぐらいの収入だったんですか」

HIROKI「僕がやっていたのは文章量によって違うけど1回やって大体1500円から2千円貰えたら御の字っていう感じ。そうなんだけど、お金はほとんど使わない生活だったから2万円ぐらい貯金できていたかな」

武井「節制しながら生活していたんですね。食事はどうされていたんですか」

HIROKI「昼は基本食べなかった。マックで100円のコーヒー飲むか自販機の炭酸飲んでやり過ごしていた。炭酸はガスでお腹がいっぱいになるから満腹になるんだけど、その(糖質の)せいで太ったね」

武井「友達に昼食を誘われた時はどうしたんですか」

HIROKI「断ったよ。ごめん金無いからって。あ、今思い出したけど学食で売っていたポテトや唐揚げは放課後に食べていたかな。太っていたのはその(油の)せいもあるね」

(追補:HIROKIは高校時から肥満体型で、大学時代にさらに太ってしまったそうです)

武井「服はどうしていたんですか」

HIROKI「服はいつも一緒。ジャージで通ってました(笑)。友達が可哀想だと思ったのか都内の服屋に誘ってくれたんだけど、5千円を超える物は高級だと思っていたから「東京って高級な店多くて凄いな」と思って買えませんでした。財布は100円ショップで売ってるチャック付きの小銭入れを財布代わりに使っていました。今はオーデマ・ピゲのロイヤルオークという250万の腕時計着けているけど、当時は3万円の腕時計でも凄い高級な物だと思っていて腕時計を買って着ける余裕もありませんでした」

武井「2万円の貯金をやり繰りしながら生活されていたのですね」

HIROKI「はい。あと散髪も三か月に一回とか低頻度だったので、超ロン毛になったまま床屋に行ったら「どのぐらい伸ばしたんですか」って言われたり(笑)。床屋でスポーツ刈りに短くして貰えば伸びるのに時間がかかるので、毎回それで三か月しのいでいました。節約しまくっていたので大変でしたよ」

武井「親御様は支援されなかったのですか」

HIROKI「外出すると色々とお金がかかるので、節約のために実家に居たら「1万円あげるから出かけてくれ」って言われて追い出された事もあるけど、大学時代決まった小遣いは無かったね。それでも学費と交通費を払ってくれた親に感謝しています。もっと貧しい人は大学進学を諦めざるを得ない家庭もありますから」

大学卒業後さらに貧しい生活に・・・

HIROKI「でも本当に貧しかったのは大学卒業した後でした」

武井「詳しく教えて頂けますか」

HIROKI「僕は大学院進学だけを考えて大学で勉強していたんですが、大学院(東洋大学)には合格したものの、親に「勘弁して欲しい」と反対されてしまったんですね。大学院に行って研究職に就けると思ったら反対ですよ。それで卒業後に路頭に迷ったんです」

武井「大学院に合格したのに反対されたのですか」

HIROKI「受験前は学費を払えるという話だったんですが、それが合格後に難しくなったんです。さっき湯浅さんの本の話をしましたけど、院進学が見えていたのに奈落の底に落ちたので、これは誰でも貧困に落ちる可能性があるという『反貧困』に書いてあるそのままの通りだなと感じました。それでどうしたかと言うと、とりあえず大学の就活センターに行って親に反対されたという事情を話しました。親の勧めでハローワークに行った事もありましたが「そんな話は聞いたことがないからウチでは対応できない」と相手にしてくれなかった。第一ハローワークって失業した人が行く場所なので新卒を相手にする場所じゃないですからね。仕方ないので家でレンタル屋で借りた映画観たり校正の仕事を続けていたら、ゼミの先生から「大学院反対されたんだって?」と電話がかかってきて、「最近何やってるの?」と言われ「ライターの仕事をやらないか」と助けてくれたんです

武井「とても親切な教員ですね」

HIROKI「これもちゃんと大学で勉強してきたからでしょうね。ろくに勉強してなかったら(ゼミ教員は)助けてくれなかったと思います。ゼミ教員のツテで映画の記事を掲載する映画同好会に入りました。ライターの仕事と言っても最初の内は書く練習の下積みなので、年金事務所から「いつ(年金を)払えますか」と毎日電話がかかってきたりして、レオパレスに住みながらこれからどうしようかと悩みながら生活していた時代が続きました。はっきり言って人に何やっているか恥ずかしくて言えない時代でした

武井「下積み時代はどんなことをやっていたのですか」

HIROKI「基本的に映画を観て評論を書く練習をしていました。仕事はミニシアターや博物館に刊行される季刊誌で映画の記事を書いていました。それでもライターは食えないと考えていたんで他の仕事に就くために難しい資格を取ろうと勉強していたのですが、最初貰った仕事がロベール・ブレッソン(フランスの映画監督)のフランス映画の評論で、その報酬で8千円を実際に頂いた時にライターでやっていけるなと確信して(映画ライターを)続けました」

(追補:東洋大大学院合格後、HIROKIは首の持病が理由で1年間休学しました。HIROKIは元々映画ファンで、休学中にたくさんの映画を鑑賞し、ゼミの教員の推薦で映画同好会に入会しました。しかし、同好会だけでは生活が困難なため、卒業後にFP2級を取得し自動車販売店で保険業務のアルバイトをしたそうです。上京のためレオパレスに引っ越しをしたのは映画同好会に入会した際だそうです)

シェアオフィス経営で貧乏から脱出!

武井「出版社と大学教員の仕事が決まったのは」

HIROKI「映画同好会在籍中に出版社に応募して中途採用が決まりました。あなたは知っているけどどこの出版社というのは守秘義務があるのでここでは言えません」

武井「日本人ならご存知の有名な会社が経営する出版社ですね」

HIROKI「あんまり言うとバレちゃうから言わないで(笑)。自慢じゃないですが一応自分の努力ですね。その前の話なんですが、他の映画同好会が集まる発表会に居た関学(関東学院大学)の先生が時代劇の歴史を書いた映画評論を評価してくれて、客員教員として日本文化の授業も受け持つ事ができました」

武井「品川にシェアオフィスを購入されたのはその後ですね」

HIROKI「丁度コロナ禍になる前です。元々群馬におこげ(本誌ゲームライター)が不動産会社に勤めている関係で群馬で不動産経営をするつもりだったんですが、都内でシェアオフィスを共同経営する提案を同僚から持ちかけられたのでおこげには申し訳ないけど都内のオフィスを経営する事になりました。コロナ禍になってテレワークが増え、稼働率が来年の2月末まで100%です」

武井「シェアオフィスの経営も順調に行っていますね」

HIROKI「収入が上がったと感じたのはシェアオフィスを買ってからかな。でも出版社に採用が決まったからオフィスを購入できたので、貧乏から脱出できたのはそのお陰ですね。レオパレスからタワマンに引っ越しあなた(武井)が紹介してくれた嫁と結婚しました。レオパレスを出たのはもっと前の話ですけど。その時は貧乏から脱出した自分へのご褒美としてロイヤルオーク(高級時計)レクサスなんかを買いましたけど、コロナ禍で苦しんでいる後輩がいると今はもうそんな事をしていられませんよね」

(追補:シェアオフィスはHIROKIが入社した出版社の同僚や他社の有志らで共同購入し、その後HIROKIとHIROKIの顧問先である親会社が買収し、現在は単独経営を行っております。また、HIROKIは教員時代に時代劇の専門的な知識を習得したと評価され、2020年には時代劇の変遷や作品リストを掲載した「時代劇ロードマップ」を出版社向けに完成させました。HIROKIは現在国内で様々なビジネスを行っており、不動産経営、老人ホーム経営コンサルタント、時代劇ロードマップ収入などが主な収入で、2020年に1億円以上の年収になりました)

受験の最大の敵は「自分の親」

武井「HIROKIさんの記事「【元大学教員解説】大学院進学後に後悔する人と成功する人の差」の中で「家が貧乏な人は大学院に行かない方がいい」と書かれているのはHIROKIさんが大学院進学に反対されたのが理由でしょうか」

HIROKI「はい。大学院の学費は高額なので、やはり親が払うのを躊躇してしまうんですね。だから僕のように合格してから親とトラブルにならないようにあの記事でそう書いたんです。勿論感謝はしていますよ。でも、受験するのは子供だけど金を払うのは親なので、親の一存で受験は決まるという事実もありますから。受験の最大の敵は自分の親なんです

元カノに言われた「ある言葉」が人生逆転の機転となった

HIROKI「実はこれでも一応大学で彼女いたんです。デブで貧乏だったのにどこが良かったんだろうと不思議に思いますが」

武井「そうなんですか。詳しくお話を伺ってもいいですか」

HIROKI「必須のゼミで一緒になった学生でね。僕はさっき校正のアルバイトしていたって言ったけど元々文章を書いたり、自慢じゃないけど大学では勉強ができたので、その人に勉強を教えたり課題レポートのアドバイスなんかをしていました。放課後カラオケに行ったりLINEでしばしばやり取りしたり上手くいってたんですが、渋谷に行った時トラブルになってですね・・・」

武井「何があったんですか」

HIROKI「服の店に何軒か一緒に行ったんですが、どの店に行っても太っていたので着れる服が無かったんですね。それで呆れた彼女が「いい加減にして欲しい」と。「デブで金が無い人とはもう無理」だと言われたんですね。で、LINEも削除し別れました。今の嫁は武井さんが紹介してくれたね(笑)」

武井「そんな事があったんですか。大学時代に付き合っていた方とはとても壮絶な別れ方をしていたのですね」

HIROKI「この事がきっかけで僕はこのままじゃダメだと思ったんです。それで今までのダメな自分を変える「自分改革」を始めました。僕がやった「自分改革」は2つあるんですが、真っ先に取り組んだのがダイエットでした」

武井「どうしてダイエットが自分改革に繋がると考えたのですか」

HIROKI「デブだと正論を言っても説得力が無くなると思ったので。同じ発言でもデブよりイケメンが言った方が説得力が高まるじゃないですか。まぁ単純にデブだとカッコ悪いという理由もありますが。ローランドは「デブは甘え」と自書で書いていますね(笑)。とにかく痩せる方法をネットで洗いざらい調べ上げ、そしたら有酸素運動が脂肪を酸素の力で燃やして痩せるという事が分かり、毎日家の周りを走る事を始めたんです」

武井「すごいですね。ランニングはすぐ取り掛かる事ができたのですか」

HIROKI「最初は物凄く大変でした。そもそも走るのが苦手なデブだったので最初はちょっと走るだけで息切れしました。それでどうしたかと言うと、音楽を聴きながら走る事を始めたんです。音楽を聴きながらだと意外と疲れを感じなかった。最初は辛かったけどだんだん音楽を楽しみながら走るのが楽しくなって、今は外では走っていないけど室内でランニングマシーン使って走っています」

武井「音楽を聴くという方法はご自身で思い付いたのですか」

HIROKI「はい。単に走るだけだと静かだったので音楽を聴きながら走りたいなと思ったんです。それで音楽を聴きながらランニングを始めたら意外と疲れなかった。だから運動を続けられたんです」

武井「そうやってダイエットに成功されたんですね」

HIROKI「あと幸いダイエットを始めたのが秋だったので、涼しかったのも続けられた理由だと思います」

武井「ダイエットに成功した時、元カノを見返してやったという気持ちはありましたか

HIROKI「それは意外と無かったですね。二度と会う事も無いので。でも今思えばあの時そう言ってくれなかったら僕はデブでダメ人間のままだったと思うので、逆にああ言ってくれて良かったのかなとも思っています。それよりも、有酸素運動で本当にダイエットが成功するか心配だったのですが、走るうちに体重が落ちていったので安心した気持ちがありました。服を買い直さなきゃいけなくなったのは貧乏だったので辛かったですが」

武井「服代がかさみますね(笑)」

HIROKI「ユニクロの990円で売ってるTシャツと1000円で売ってるGUのジーパン履いていました。服にお金がかかるよりも細いジーパンに足が通るようになった時は嬉しかったですね。今は30万のアルマーニか25万のプラダを着ています。さっき見返してやりたい気持ちは無いって言ったけど、今まで着れなかった高い服着て見返してやりたいという気持ちがどこかにあるのかもしれません(笑)」

武井「もう1つの自分改革は何ですか」

HIROKI「もう1つ自分改革としてダイエットと同時にやり始めたのは「勉強」です。勉強なら金がかからないので貧乏でもすぐ取り掛かれると思ったので。と言っても元々大学では成績が悪くなかったのでどうしたかと言うと、大学院合格を目指すようなハイレベルな勉強を目指したんです。高校時代成績がとても悪かったので親に申し訳ないなと思い大学では勉強を頑張っていたんですが、普通の努力を超えた「これだけは誰にも負けない」という専門分野を作りたいと思い必死になって勉強に打ち込みました。自分の場合それが社会福祉の勉強でした

武井「専門分野を作るために勉強に打ち込んだのですね」

HIROKI「元を言えば、大学時代のゼミ教員に「あなたの研究しようとしている社会学は社会福祉学に近いから大学院は福祉の道に進んだ方が良い」とアドバイスされたのが社会福祉を勉強しようと思ったきっかけです。僕は大学時代介護者と被介護者の間にある相互作用(交互作用)を卒論テーマにしましたが、社会学と社会福祉学の境目にある微妙なテーマなのでゼミ教員に僕の研究テーマはどっちに近いか相談しに行った時に受けたアドバイスでした。

話を戻すと、誰にも負けない分野を作れば、社会に出た時に何かの役には立つだろうと思ったので必死に勉強しまくりました。自分の場合本が好きなので大学時代に図書室で沢山の本に出会いましたが、その中の一冊がさっき紹介した湯浅さんの『反貧困』なんです。この本を読んで、「やっぱり社会福祉を勉強する必要があるな」と思い社会福祉の問題に精通したいと思ったのです。結局、院進学は親に反対されましたが、 院試に合格した証のお陰で富裕層と人脈を作る事ができました

(追補:HIROKIは社会福祉の他に、現在マイナーな文化になりつつある時代劇にも着目し、休学中にたくさんの時代劇も鑑賞したそうです)

成功の秘訣は「大学の勉強」「人脈づくり」「やりたい事を最優先する」

武井「現在HIROKIさんはまだ20代であるにも関わらず既にビジネスで成功されておりますが、その成功の秘訣は何でしょうか」

HIROKI「僕の場合は大学の勉強が大きかったと思います。大学の勉強って役に立たないと言う人が居ますが、違います。例えば、大学の授業では社会課題の解決策を自分で考えて立案する授業が多く、またゼミナールなど発言力が求められる授業もあります。大学はこうした自発的に行動できるような行動力を養成する場所だと思うんですね。

また、大学院に進学を希望する場合教員と交流会(教員と学生が交流する場)で人脈を作る必要がありますが、これは経営者としても通じるものがあるんです。経営者も自分で行動し、自分で人脈を作っていかなければならない。営業マンもそうですよね。自分で人脈を形成していく必要があるじゃないですか。ローランドのように成熟した人は大学に行かなくても成功できるけど、僕の場合高校を出た時にそこまで成熟してなかったから大学に行った訳だし、大学で勉強したお陰でゼミ教員に救われたという事もあります。だから大学の授業って無駄じゃないし、社会に出た時に大きく役に立つと思いますよ

武井「経営者を志す人こそ大学の授業が大事という事なんですね。HIROKIさんはご自身で富裕層の方々と人脈を作られましたが、人脈を作るきっかけはどのように作れば良いのでしょうか」

HIROKI「一番大事なのは資格を取る事ですね。資格を持っていれば人脈を作る際に大きな援軍になります。僕の場合は大学院に合格した証でした。映画同好会で書いていた物を(HIROKIが現在顧問契約を締結している)社長が読んで頂いたというきっかけもあるんですが、大学院に合格したお陰で社会福祉について専門的な知識を持っている身分として扱って頂く事ができました。それ以前に出版社に就職できましたが、経営者として成功できたのは院試に合格したのが大きいです。今の社長とはマンションの懇親会で知り合う事ができましたが、それも自分から積極的に人脈を作れる行動力を大学で養ったお陰です。資格を持っていないと「この人信用して大丈夫かな?」と相手に疑心暗鬼を生んでしまいますが、資格を取れば信頼できる人として人脈を大きく広げる事ができます

武井「なるほど。それが先ほど仰った「院試の合格証のお陰で富裕層と人脈を形成できた」という事なんですね。その資格も自分がやりたい仕事と一致するものである必要がありますね」

HIROKI「そうなんです。やたら滅多に資格を取りまくっても効率が悪いです。小室圭のように弁護士になりたい人が保育士の資格を取っても無意味なので(笑)。

更に言うなら、最大の成功者とは自分のやりたい事を全うした人だと僕は思っています。成功したいなら自分の好きな事を最優先した方が良いですね。生活のためにある程度の収入は必要ですが、儲けかやりたい事かで天秤にかけるなら、やりたい事を優先して下さい。金は幾らあったって税金で持って行かれるし使えばすぐ無くなりますから。周りが金持ちだろうが何だろうが影響されない方が良いです。一度きりの人生なので儲けよりも自分のやりたい事を優先した方が良いです」

(追補:HIROKIは2022年4月から顧問関係から老人ホームの正式な経営者になります。現在顧問契約を締結中の社長とは社会福祉ビジネスの話題以外にも、時代劇の話題でも親睦を深めたそうです)

HIROKIが今後目指したい事

武井「最後になりますが、今年5月のインタビューで「次は海外進出を目指したい」と仰られておりました。オミクロン株が出現しコロナ禍はまだ続きそうな気配ですが、今後は海外でビジネスを開始する予定という事なんですね」

HIROKI「それがね、コロナって新株がどんどん出てくるので、現段階ですぐに海外進出は難しいと考えています。オミクロンが終わっても新しいのがまた出てきたら新株出現の度に渡航制限がかかるので、そんな状況になると海外進出は難しいです。「紅・勝ち組クラブ」の方々にはすぐに海外移住を案内できず申し訳ないですけど、世界的にこういう状況なのでご理解して欲しいです。なのでコロナが落ち着くまでの間お金を稼ぐビジネスとは違うことをやりたいと思っています

武井「それな何ですか」

HIROKI「僕は今顧問契約を結んでいる会社から今勤務している出版社を出て老人ホームの経営を依頼されているのですが、苦労して入った出版社なので転職していいか悩んでいるんです。その依頼を引き受けるかどうか決める前に可能ならMARCHか関関同立の大学院進学をしたいなと

武井「大胆ですね」

HIROKI「コロナが収まり安心して海外に行ける時期もまだ不透明だし、英語を学び直した今がチャンスかなと思ってね。東洋大学の大学院に合格した時は親の反対に遭いましたが、今は自分のお金で大学院の学費を払えるので、自分の力で有名大学の大学院に行きたいなと思っています。合格できればの話だけど、そうすれば有名大学の大学院卒として肩書きが付くので将来的にも大きいかなとも考えています。今僕は潰瘍性大腸炎とコロナ後遺症(今年11月に診断)のダブルパンチを食らっているので、コロナで海外に行けないならいっそのこと思い切って学び直しをしたいなと

武井「なるほど」

お金よりも大事なものを追い求める

※HIROKIは2020年3月から「コロナ支援プログラム」を開始。後輩ライターや映画業界に約600万円を支援致しました。

HIROKI「大学院に行けば収入は減るけど、コロナ禍で最近お金よりも大事な物もあると思い始めてたんです。コロナ禍になる前は貧乏から這い上がってきた自分へのご褒美として高級時計とかレクサスのような車を買って、下積みを支えてくれた嫁のためにクリスマスに1晩で50万使った事もありますが、もうじき30代に入るのでいつまでもバブリーな事を続けるような歳ではないと思うんですね。大学時代は貧乏から脱出するのが目標でしたけど、稼げるようになった今はお金よりも大事な事を追い求めるのが目標になるのかなと考えています

武井「それはコロナ禍で考え方を見直したという事もあるのですか」

HIROKI「そうですね。やっぱり、コロナ禍で僕の後輩が仕事が減って生活が苦しいという事になって、今度は自分を支えてくれた人たちを助ける番だと思ったんです。僕が居る映画同好会のお陰で出版社に中途採用が叶ったので、その恩返しはしたいとコロナになる前から思っていたんです。そういう意味を込めて映画同好会に支援しているんですが、そこで感じたのは「お金よりも大事な事があるんじゃないか」という事なんです。だからコロナが収まるまでは受かれば大学院で勉強して、その中でお金を稼ぐという事を越えたものを目指したいなと思います」

武井「20代でそこまでの境地に辿り着くのが凄いです。HIROKIさんは大学院で客員の経験があるのでその経験も院試に生かせるかもしれませんね」

HIROKI「それはどうなんだろうね。来年2回試験があるのでどこか1校受験してみようかなと思っています」

【追記】後日、法政大学の大学院に合格しました

今年2月、HIROKIから法政大学に合格したとLINEで連絡がありました。おめでとうございます。

聞き手:武井誠治

編集:武井・HIROKI