【ヒロキネマコラム第70回】日本のデジタルネイティブが観るべき映画『ミセス・ノイズィ』

『ミセス・ノイズィ』(2019年 日本 天野千尋)

 『ミセス・ノイズィ』は、アパートの住民が相互不理解から近所トラブルになり、それがSNS炎上へ発展するという正に現代社会のトレンドを押さえた作品だ。

 物語の概要を端的に記すと、売れない小説家である吉岡真紀が、あるアパートに引っ越してくる。次回作に向けて家で執筆に取り組む真紀だが、隣に住む若田美和子の騒音がうるさく集中できない。真紀と美和子のベランダでの喧嘩を従兄弟である直哉が動画で撮影し、それをネットに公開する。真紀は直哉から「近所トラブルを小説の題材にしたらいい」と提案され、それに乗って書いた小説が公開された動画と共に大反響を得る。だが、その反響がとある事件を機に、次第に真紀に対するバッシングへと変化してしまう。

 この映画は前半が真紀の視点、後半がネタ晴らしのような展開になっている。前半だけ観ると、隣のババアが近所迷惑だというコミカルな展開だが、重要なのは隣人が布団をうるさく叩く理由が明かされる後半である。

 後半は二点の主題を持つ。一点は、個人間の正義に対する感覚の違いが、相互不理解を生み、争いを生むという内容である。劇中、真紀は近所迷惑の美和子を注意する事が正義と解釈して小説や動画で仕返しをするのに対し、美和子は「私たち正しいよね。間違っているのは世間だよね」と自宅で夫に呟き、幻覚症状持ちの夫を安心させるために全力で布団を叩き続ける。正義とは人によって異なるものであり、正解が無く、その価値観の違いが争いを生んでしまうという非常に厄介なものでもある。『羅生門』と類似する内容だが、それについては映画のパンフレットに書かれてあるので割愛。同じ主題では、ここ最近の映画だと2019年に日本で公開された『テルアビブ・オン・ファイア』という映画が、パレスチナ問題を皮肉に表現し印象深い。

 こうした主題は、現在のコロナ禍における人間同士のディスコミュニケーションと無縁化するコミュニティが国民を分断させ、内乱状態に陥っている現在のアメリカが、その実情を明確に表す具体例である。映画化すると大変難しい主題になるのだが、この映画では過去に奈良であった騒音を巡る近所トラブルを題材にすることで、日本人にとっては理解し易いように表現されている。

 もう一点は、そうした争いから生まれる、ネットリテラシーが低いが故に起きてしまうSNSの誹謗中傷の悲劇である。劇中で、真紀は美和子との喧嘩を撮影した動画の反響から図に乗り、面白おかしく小説を書き続けるが、ネット掲示板の誹謗中傷を見た美和子の夫がベランダから飛び降り、自殺未遂事件に発展してしまう。その事件から真紀は世間からバッシングを受ける事になるが、当の本人は夫が病気で夫の幻覚を払拭する為に美和子が布団を叩いているという事情は一切知らない。近所迷惑の美和子を退治しようと躍起になっていた真紀が、後半では世間を敵に回す悪者になってしまうという逆転は、正に今のネット社会の構図だと感心させられる。

 日本は、欧米と比較して、同調圧力が極めて強い国である。岩手県で初めて感染者が出た際に、勤務先の会社にクレームが二日間で100件も送られた。過去に医学部の家柄選抜について書いた記事「教育の貧困を理解できていない映画『マチルダ』」で記したように、日本社会では「会社や学校の秩序を余所者に乱されたくない」という同調圧力が常に働いており、学校における制服着用、金融業界における護送船団方式、映画業界における五社協定などがそうした具体例である。

 私の経験談で恐縮だが、私が過去に滞在していたアメリカでは、個人の問題に他人が首を突っ込んではならないという暗黙の了解があった為、病気で学校や仕事を休んでも「病気なんかで休みやがって」といった嫌がらせは全く無かった。公的な皆保険制度が無いアメリカにも関わらず、このリアクションは意外であった。私が大学院を受験する前の夏に行われた、教員や院生が集合する交流会に参加した際に話をさせて頂いた外国人教員に「日本にある体育会系の上下関係についてどうお考えですか」と聞くと、「スチューピッド」と言われてしまった。

 だが、欧米が個人主義優先と言えども、他人を思いやる気質は日本よりもアメリカの方が高い。むしろ、日本以上に他人同士の接触の垣根は低い。ニューオーリンズからニューヨークへの飛行機に乗った際も、隣の白人女性の乗客から「あなたアメリカに何しに来たの」と話しかけられたこともあったし、レンタカーが故障して道で停まっていたら通りかかった人が「大丈夫か」とわざわざ車を停めて調子を見てくれた事もあった。ハリウッド映画でも、交通事故が起こると相手方が安否確認をしに来る描写がしばしば見受けられる。これが日本で、電車で他人に挨拶したら馬鹿だと思われるだろう。要するに、欧米は日本よりもコミュニティが開かれているのである。

 SNSやネット文化は、欧米のオープンなコミュニティでは向いているものであるが、閉鎖的な日本社会には向いていないのである。だからこそ、国がネットリテラシー教育を強化すべきなのだが、ステレオタイプな年寄り政治家と有権者たちには幾ら言っても理解できない内容に該当する。日本は日本独自の路線を進めば良いと言う人もいるかもしれないが、それが余りにも時代錯誤なものになると周囲の国々から笑われ、今後行われるかもしれないオリンピック延期交渉などの国際的な交渉に不利に働いてしまう場合もある事は留意しておきたい。

 映画の前半でベランダで闘う姿を撮影される様子を見て笑っていた観客も、後半では笑っていた観客自身が劇中のネット上で誹謗中傷を続けてきた大衆と同じだと反省させられる。正直、ネットに通じない高齢者が観ても余りピンと来ない展開だろう。事実、観客の多くが若者だった。映画は、若年層には有名な奈良の騒音おばさんを取り上げて上記した二大テーマを掲げることで、これから去りゆく世代に対してというよりも、ネットに通じる世代に対し、ある出来事に対する誹謗中傷をやめ、冷静に判断できる判断力を持って欲しいという心情を伝えようとしている。そういう意味では、高齢の観客よりも、日本のデジタルネイティブの観客が観るべき映画だと言えるだろう。

(HIROKI)