ウィル・スミスを擁護する人はバカです。アメリカで彼が非難される理由を解説します【米国滞在経験者が解説】

 日本で「妻を侮辱されたから暴力を振るっていい」と主張する人が多くて驚いた。日本人の多数はウィル・スミスを擁護しているが、アメリカでは彼を非難する人が多数派である。

 筆者は過去にアメリカのニューオーリンズと小室圭が暮らすニューヨークに約半年間親の仕事関係で滞在したことがあるが、その筆者からすると「暴力は最終手段だからどんな事があっても絶対に振るってはいけないもの」とアメリカで教えられている。だから、ウィル・スミスは批判されて当然だと思うし、寧ろ彼を擁護している人の気持ちが全く理解できない。

 今回のコラムでは、ウィル・スミスの暴力騒動(騒動についてはニュースで報道されているのでここでは書かない)が現在アカデミー協会からの処分待ちとなり、彼がアメリカで叩かれている理由について解説します。

アメリカの学校では「暴力は最終手段」だと教えられる

 アメリカなど欧米では「非暴力主義」がスタンダードだ。一方、日本ではダウンタウンの浜田雅功やお笑いコンビ錦鯉のように頭を叩く芸が人気を取っているが、欧米では例えお笑いの一環だとしても頭を叩くなどの暴力行為はタブー視されている。昔、野球の上原浩治がレッドソックス時代に全力でハイタッチをしてチームメイトがドン引きした事があるが、それも日本との価値観の違いが理由だ。ただし、『アメリカンスナイパー』という映画にもあるが、「男ならやられたらやり返してこい」と正当防衛を教え、肉体的な教育をする親も実際にはいる。アメリカでは錦鯉のようにふざけて相手の頭を叩くとガチの殴り合いの喧嘩に発展するので、欧米では他人の頭を叩くのは絶対に避けること。

 この非暴力主義について、筆者のアメリカでの体験談を記しておく。筆者は先に述べたようにニューオーリンズの小学校に半年間通っていたが、ある日暴力を伴う喧嘩があり、先生がクラス全員を集めて居残りで説教をするという日があった。そこで先生から「暴力は絶対ダメ。暴力は最終手段だからどんな事があっても絶対に振るってはダメですよ」と繰り返し厳しく教えられた。筆者が通っていたニューオーリンズの学校では、喧嘩の当事者だけではなく、関係の無いクラス全員を集めて「暴力は絶対ダメ」だという説教を受けた事があった。

 その後、筆者は日本に帰ってきたのだが、拍子抜けしたのは日本の小学校の喧嘩の対応だ。日本の小学校でも喧嘩は何度かあったが、先生は当事者だけを集めて解決させた。喧嘩の当事者以外であるクラス全員を先生が集めて説教を始めたアメリカとは異なり、先生が当事者だけを集めて解決させる日本の子供の喧嘩に対する教育は甘いと感じる。推測だが、日本で暴力に対する教育が甘い理由は、バラエティ番組の影響で暴力が日常生活の一環になってしまっているのが理由ではないかと私は考えている。

 日本はこれまで、暴力が認められてきた歴史がある。その具体例が、日本の学校でかつて行われた体罰教育とブラック企業の存在だ。余談だが、これは野村証券に勤めていた私の母親から聞いた話で恐縮だが、筆者の母親が勤めていたバブル期の野村証券(80年代)では業績の悪い男性社員が上司に殴られる、灰皿を投げつけられるといった暴力は日常茶飯事だったという。だから、今の若者は学校でも体罰が無いし緩くて甘ったれていると母親に言われた事がある。ブラック企業ではまだそんな時代遅れな事をやっているという話を私の経営仲間から聞くし、暴力が暗黙の了解のうちに是認されている社会に日本はなっている。

アメリカの子供にとって、ウィル・スミスは憧れのヒーローという存在

 筆者の体験談はここで置き、ウィル・スミスの件に話を戻そう。彼はアメリカの子供たちからすると、日本のウルトラマンや仮面ライダーのように、誰もが憧れるヒーロー的存在と見られている。彼の過去の出演作品を観ても、例えば『幸せのちから』『アフター・アース』『ドリームプラン』などの出演作では、いずれも「子供をサポートする良心的な親」というポジショニングを担っている。

 今回、アカデミー協会がウィル・スミスに対する厳しい処分を検討している理由は、全米で視聴率の高いアカデミー賞授賞式で暴力を振るった行為が、アメリカの子供たちに対する悪い見本にならないようにする為だ。仮に協会が何も処分を下さなければ、授賞式をテレビで観たアメリカの子供たちが「俺たちのヒーローのウィル・スミスが侮辱されて暴力を振るったから俺も侮辱されたらスミスのように暴力を振るっていいんだ」と誤解してしまい、スミスの暴力が悪い模範になってしまう。そうした理由で協会から厳しい処分が下るのは確実と思われるが、「病気の妻を口で侮辱したという行為」と「暴力を振るってしまったという行為」を天秤にかけた時に、「暴力は最終手段」という非暴力主義があるアメリカで、妻を侮辱されたから暴力を振るったというスミスの行為を支持する人は少ない。

ブロックバスター映画に出演した事も非難の理由か

 ウィル・スミスは元々アーティストとして活動し、『メン・イン・ブラック』や『アイ・アム・レジェンド』『ハンコック』などのブロックバスター映画(特殊効果満載の利益を上げる事に特化した下らない大作映画のこと)に主演し人気を集めた結果ドル箱スター(ギャラ2000万ドル以上を得るA級リスト俳優のこと)になったという経緯がある。この経緯から、映画評論家からはこれまで高い評価を受ける事は無かったが、テニスプレーヤーのセリーナを育てた父親を演じた『ドリームプラン』の主演男優賞(アカデミー賞は作品賞以外はそのカテゴリーに属するアカデミー会員たちが投票権を持っている)はアカデミー会員たちが「お情け」的な評価を下したという側面がある。個人的には『パワー・オブ・ザ・ドッグ』のカンバーバッチの方が葛藤を表現している名俳優だと思うが、ウィル・スミスを俳優としてはチャランポランのラッパーだというイメージがある(その裏でスミスは過去にMITの入学資格を得ているほどの秀才)為、アカデミー賞はこれまで彼を避け続けてきた。

 筆者は詳しく存ぜぬが、スミスとクリス・ロックの絡み合いは今回が初めてではなく、過去にもあったそうだ。2016年の授賞式やスミスの結婚記念日などでも絡み合いがあったらしい(『NEWSポストセブン』2022/03/29)。アメリカ人からすると「妻を守る為に暴力を振るった」という意見よりも、「ブロックバスターの下らない映画で成り上がった俳優が何を今更絡み合いでキレているんだ」という意見の方が全体的には勝っている状態だ。有り得ない話だが、もし仮に東国原英夫がハゲをイジられて激怒しイジった人を平手打ちした場合、東国原を擁護する日本人は居ないはず。それと同じ原理が、ウィル・スミスの平手打ちにも見られている。

ウィル・スミスはどうするべきだった?

 だからといって、クリス・ロックの侮辱行為が許されるものではない。というより、ロックの発言は下品かつ、世界的に注目度の高いアカデミー賞授賞式というセレモニーに不適切な発言だと私は思う。

 筆者はお笑いの専門家ではないので偉そうな事は記せないが、筆者はお笑いの中でも「イジって良いネタ」と「イジってはいけないネタ」を区別する事ができなければ、例えそのコメディアンの知名度が高いとしても一流のコメディアンとは言えないと考えている。毒舌家のビートたけしはその境界線ギリギリを行き、「俺は復興税800万も納めているのに。国会議員は給料返せバカ野郎!」と正論を用いて税金泥棒の政治家たちをテレビで公開処刑しているから面白いのだが、コロナ禍で女性蔑視発言をした岡村隆史(岡村は非常識な発言をしたにもかかわらず、公共放送であるNHKは何故か使い続けている)のように、この2つのネタを区別する事ができなかったロックはまだ二流のコメディアンに過ぎないと批判を受けても致し方無いだろう。高校中退の半端者であるロックには理解できない部分なのかもしれない。

 では、スミスはあの場面でどうするべきだったか。筆者は壇上に上がり、「今すぐ謝れ!」と口で謝罪を求めるのが適切な対応だったと思う。それを無言で壇上に上がり、平手打ちするのは、視聴者からするとドン引きものである。スターは(ウィル・スミスの場合は普通のスターを超えたドル箱スターに当たるが)些細なことでも炎上してしまう大変な職業だが、妻を侮辱されても冷静な対応を求められるドル箱スターは、勿論暴力はダメだが、派手な私生活の裏でなんだか可哀想だなとも感じてしまう。

(HIROKI)